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時代の流れにより、変わってきた需要と、変わらず受け継がれてきた創設者の想い

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時代の流れにより、変わってきた需要と、変わらず受け継がれてきた創設者の想い

京都府立大学

沖野 莉沙

サイチ工業株式会社

山本 彰

interview

学生と経営者がお互いに意見交換をしながら、相互理解を深めるHRsessionの対談コンテンツ。

今回は、サイチ工業株式会社の代表取締役社長 山本 彰様に、お話を伺いました。

京都府立大学
沖野 莉沙

京都府立大学文学部。2024年卒業見込み。人材業界やメーカーを中心に就職活動中。クイックの企業理念に魅力を感じ、インターンシップに参加。趣味は料理•お菓子作りで、アルバイトで得た収入の多くをその材料費に費やしている。

サイチ工業株式会社
山本 彰

1959年生まれの63才。大学卒業後、日本真空技術(株)に入社し真空技術の基礎を学ぶ。 1992年、家業のサイチ工業(株)に入社。 2002年、43才で代表取締役社長に就任し、現在に至る。

目次

 


沖野
本日はよろしくお願いいたします。はじめに、山本様の大学卒業後のご経歴を教えていただきたいです。


山本
大学を卒業した後、真空蒸着という加工の設備を作っている会社に10年間務めました。
私は次男で、親からは好きにやりなさいと言われていたけど、家業が、そういう機械を使って仕事していたから役に立つかなと思ったんです。10年間務めた後に、家業に戻ってきましたね。


沖野
ご長男様ではなく、山本様が継がれたのですね。


山本
そうですね。兄とは13歳離れていて、私が10年間別の会社で働いているときに家業の方で社長をやってしました。私は社長になるために10年間修行をしたというわけではなかったけれど、設備の知識を得るということに加えて、使われる立場を経験できたのが良かったと思いますね。


沖野
そうなんですね。いきなりトップに立ったわけではないので、働かれている方々の気持ちもしっかりと理解できる経営者なのですね。


山本
10年間社員として働いて、会社はどうやって従業員に対応しているか、それによって社員の中でどんな意見が出てくるかといったことを客観的に見れるようになりました。


「金銀糸」が紡いできた激動の100年間

 沖野
なるほど。会社の創業から現在までの流れについて教えていただけますか。


山本
サイチ工業は明治40年に設立しました。サイチ工業のサイチというのは、山本佐市という私の祖父の名前なんです。


 沖野
下のお名前なんですね。


山本
創業当時は京都西陣の帯に入っている、金銀糸のベースとなる和紙を作っていた会社だったんです。いわゆる郷土産業でした。昭和になって、私の父親が祖父の手伝いを始めた頃に、和紙だけではなく金銀糸そのものを作ることになりました。戦争で中断したものの、戦後には、近所の人に呼びかけて協力してもらいながら、なんとか仕事を広げていったんです。


 沖野
そうだったんですね。


山本
昭和40年をすぎると、紙がプラスチックのフィルムに代わり、私が10年間働いていた会社の蒸着技術を取り入れて、フィルムに薄い金属の膜をつけて金銀糸を作る方法に変わりました。すると、糸を作る工程の中の蒸着フィルムが色んな所から要求されるようになったんです。


沖野
すごいですね。時代の流れが感じられます。


山本
ポテトチップスの袋とか、シャンプーの袋とか。もちろん金銀糸も作っていますけどね。
最近では、スマホの電磁波をシャットアウトするフィルムの一部にも我々のフィルムが使われているんです。


沖野
蒸着という業界は様々なニーズがあるんですね。


山本
時代の流れにうまく対応できていたのではないかなと思います。我々のものづくりと世の中の要求がマッチしていたんです。ラッキーなだけかもしれないですけどね(笑)


「人柄」が勝ち取った、会社存続のための融資

沖野
そうなんですね。ありがとうございます。
100年以上もの間、経営をされていると時代の変化がかなりあったと思うのですが、
経営が難しかった、危なかったというタイミングはありましたか。


山本
戦争のときは、仕事をしている場合ではなかったと聞いています。鉄は武器になるからということで、家の設備も全て提出したんですよ。戦後、蒸着の機械を買うためには、1億5000万円ほどしたらしいです。これは、我々の会社の当時の売上より若干少ないくらいで、売上を丸々設備に投資しないといけないとなったんです。


沖野
ものすごく高額だったんですね。


山本
諦めかけていた所に、当時の銀行の支店長さんがわざわざ父親の元へ来て、お金を貸すからやりなさいと後押しをしてくれたそうです。その後押しがなければ今のサイチ工業はない、そんな高額を貸してくれることはなかなか無いから本当に感謝している、と父親は言っていましたね。


沖野
すごいですね。銀行はリスクも大きかったと思うんですが、なぜそこまで協力的だったのでしょうか。


山本
父親のことを褒めるのは恥ずかしいですが、やはり人柄ではないでしょうか。
父親と後継者である兄が一生懸命働いている姿を見て貸してくれたのだと思います。


沖野
なるほど。山本様のおじいさまも近所の方に声をかけて協力してもらいながら仕事をしていたと仰っていましたよね。やはり人柄が良かったから協力してくれる人がいたのだと感じました。


山本
そうですね。祖父は私が生まれる前に亡くなっていたので会ったことはないですが、私の父親を育てたくらいだから、人柄が良かったんでしょうね。
ものすごく酒飲みだったらしいですけどね(笑)


業界の秩序を保つ、縁の下の力持ち

沖野
蒸着フィルムについて調べさせていただくと、競合他社の中に大手企業も複数社いらっしゃると感じたのですが、御社の優位性や、強みを教えていただきたいです。


山本
簡単に言うと、我々は生産性の良い設備を持っているのが強みだと思います。我々がそういった設備を作るノウハウを持っているということですね。
他社さんが100円で売っていたら、我々は買っていただくために80円で売ることができます。けれど、そうするとどんどん価格が下がり、業界全体の製品価値が下がってしまいますよね。だからあえてそういったことはしません。競争が激しくなりすぎないように、価格の調整ができることも我々の強みだと思います


沖野
なるほど。価格決定権を持っているということなのですね。


山本
そうですね。そういった秩序ある競争を心がけながら、時には同業者とも協力しながら仕事をすることもあります。


沖野
業界の秩序を保ちながら、競争もして協力もするのですね。
生産性の良い技術は盗まれてしまうことはないのですか。


山本
設備の問題なので、簡単に真似できるものではないですね。
私共は、生産性の良い設備をうまく使うという点では長けているかもしれないですが、やはり一長一短あると思いますよ。


「初志貫徹」お客さんが0になるまで

沖野
ありがとうございます。
社訓に「郷土産業を育てる」とありますが、現在の郷土産業を育てる取り組みを教えていただきたいです。


山本
これは、元々この会社が和紙づくりから始まっているというのを忘れてはいけないという父親の想いなんです。金銀糸のお客さんが1人でもいらっしゃる限り、永遠に金銀糸づくりを続けます。滋賀県にまつわる仕事をたくさんしているわけではなく、自分たちが始めた仕事を、伝統を大切にしていくという想いから、社訓に入れているんです。当時は「育てる」だったけれど、今は「続ける」ということですね。


沖野
そういった意味だったのですね。


山本
金銀糸はお客さんが0になるまで続けるぞと言っていましたからね。利益は正直少ないけれど、これからも続けていこうと思っています。


沖野
やはり収益性だけを考えて、会社をどんどん大きくしていこうということではなくて、人とのつながりを大切にされているんですね。


山本
そうですね。やはり最近になると上場とかがステータスになっているので、上場するという考え方もあるとは思うんですが、現時点では目指していないですね。
ちょっと立ち止まって考えて、我々のやり方でやっていきます。


沖野
一旦立ち止まって考えるということが100年以上続いている理由なのかもしれないですね。


山本
そうかもしれないですね。


ものづくりの現場の面白さと、現場の方との向き合い方

沖野
次に現場のお話をお伺いしたいのですが、10年間違う会社で働いていたという点で、ものづくりの現場のやりがいを教えていただきたいです。


山本
ものづくりというのは、あるモノとあるモノ使って新しいものを生み出す、するとそこに付加価値がつく、という非常に意味のある仕事だと思います。買ったものをそのまま値段を高くして売ることよりも、付加価値を生み出すという点で重要な仕事です。


沖野
その通りですね。


山本
「魂を入れろ。」とよく父親が言っていました。うまくいかないときでも、魂を入れて取り組んでいると答えが見えてくるんです。
やっぱりそういった意味のある仕事を感じられるものづくりの現場は非常にやりがいがあると思いますよ。


沖野
今でも現場に行かれることはあるのですか?


山本
比較的に行っている方じゃないかと思います。主に安全パトロールですけど、10年間勉強して設備のことも分かるので、現場の人とも同じ目線で話ができますしね。


沖野
経営者の立場で現場の方とコミュニケーションを取る中で、意識されていることはありますか。


山本
社長だから俺の言うことを聞け。とならないように努めています。
だけどこれは社員に確認しないといけないですね(笑)
実際に仕事をしてくれているのは従業員の皆さんですからね。みなさんが気持ちよく働くことのできる環境を整えることが、私の役割だと思っています。


沖野
すごく謙虚な姿勢ですね。山本様のような経営者のもとで働きたいなと思います。


山本
そうですか。ぜひうちに入ってください(笑)
どれだけ従業員の皆さんが感じてくれているかは分かりませんが、常にそういう気持ちでいます。


面接でうまく伝わらなくてもいい
入ってから成長せよ

沖野
会社の雰囲気を教えていただきたいです。


山本
そうですね。アットホームな雰囲気だと思います。元々そんな雰囲気の人が集まっていて、その人達が今は上司として働いているので、部下もそんな雰囲気になっていきますね。けれど、従業員数が増えるとやはり徐々に雰囲気も変わってきていますね。


沖野
どんな人に入社してほしいですか。


山本
嘘をつかない、誠実な方ですね。後は明るく元気な方です。


沖野
製造業において、新卒の学生は知識や技術が足りないと思いますが、そういった方たちに求めているものは何ですか。


山本
活気のある元気で明るい部分を見たいです。最近はみんな大人しくて真面目ですね。
けれど、面接ではなかなかわからないことも多いんですよね。なので、ほとんどの方を採用しています。入社してくれたら元気にやってくれるだろうという期待も込めています。


沖野
そういったことが「職場をとおして人格を陶冶する。」という社訓に繋がっているのですか。


山本
そうですね。陶冶するって難しい言葉ですが簡単に言うと育成するという意味です。
昔は近所の奥様方、おじいさん、おばあさんに声をかけて仕事を教えて手伝ってもらっていました。恐らくそこからこの言葉が生まれたんだと思います。


沖野
職場で働いていく中で、素直で誠実な人に成長していってもらえればいいなという想いがあるのですね。


山本
おっしゃるとおりです。


沖野
ありがとうございます。最後に就活生へ向けてメッセージをお願い致します。


山本
居心地の良い環境で仕事ができるんじゃないかと私は思っています。誠実で、元気な人を求めているので、そういう環境の中で自分を高めたいという気持ちを持っている人は、ぜひ来てください。


沖野
本日は貴重なお時間をありがとうございました。

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