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「全国最年少女性市長」として

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「全国最年少女性市長」として

関西大学2年生

松原杏樹

前徳島市長

内藤 佐和子

interview

学生と経営者がお互いに意見交換しながら、相互理解を深めるHR sessionの対談コンテンツ。

今回は、徳島市の前市長 内藤 佐和子様に、お話を伺いました。

関西大学2年生
松原杏樹

関西大学経済学部。2026年卒業見込み。大学では、学園祭実行委員会に所属していた。社会人の方のお話を実際に聞けるという貴重な体験ができることに魅力を感じ、インターンシップに参加。

前徳島市長
内藤 佐和子

昭和59年徳島県徳島市生まれ。東京大学法学部政治コース在学中から家業の機械製造会社の役員を務め、企業経営に携わる傍ら、地域活性化のコンテストの開催など徳島のまちづくりに取り組む。令和2年4月、徳島市長に就任、全国で最年少の女性市長となる。令和3年3月に、在日米国大使館と駐大阪・神戸米国総領事館から「勇気ある女性賞」を授与されるとともに、令和3年4月に、内閣府の「男女共同参画会議」の議員に就任。

目次



松原
ご経歴をお伺いしてもよろしいでしょうか。学生時代はどんな学生でしたか。


内藤
弁護士になりたかったので、東京大学文科一類の法学部に入学しました。
その後、多発性硬化症という難病の診断を受けました。一瞬落ち込んだんですけど、学生ベンチャーや、インタビュー活動を始めたり、ビジネスコンテストなどでも優勝したりながら、いろんなことにチャレンジしていました。 


松原
私も色々考えて落ち込みやすい性格なのですが、難病を患われてから、どのように立ち直られたのですか。


内藤
笑って何かしてる時間と、家で文句や愚痴ばっかり言ってるのも同じ人生だったら、私は楽しい人生にしたいと思いました。
学生時代にあらゆるビジネス系の人に会う経験は、すごく良かったと思います。


松原
学生時代の経験が成長の糧になったのですね。


街でプリクラが撮れない

松原
徳島市を変えたいと思ったきっかけを教えてください。


内藤
大学進学で徳島を離れて、久々にみんなで同窓会をしたら、街でプリクラが撮れなくて「なんとかしなきゃいけないな。」と思ったところからです。
高校時代は、商店街の中にもゲームセンターや服屋さんがあったり、まだ中心市街地や駅前でも、高校生が結構遊んでいた時代でした。みんなで街で遊ぶっていうのが、私たちの遊びだったんです。


松原
実際にまちづくりにはどのように関わっていきましたか。


内藤
まず協賛金を100万円程集め、知事と交渉して、地域課題解決型のコンテストを2009年、2010年に行いました。これが徳島のまちづくりに関わるスタート地点ですかね。


松原
なるほど。地元で働くことを決意したきっかけはそのような出来事があったからなのですね。


内藤
そうですね。まだサテライトオフィス設立をしていなかった神山町の今後の盛り上げ方、上勝町だと葉っぱビジネスの次の盛りあげ方など、いろんなミッションを遂行していた時に、あなたはそういうことを東京で高みの見物でやってるだけでしょと言われて、じゃあやってやろうじゃないかということで、地元に戻りました。


コロナ禍で戦い続けた4年間

松原
「対話のできるまち徳島」を掲げられていますが、市民のニーズや期待に応えるために活動していく中で、困難だった点があれば教えていただきたいです。


内藤
この4年間は、コロナウイルスによって人と人との接触が難しかったり、顔や表情すらマスクで見えない状態だったので、自分という人間を知ってもらえなかったと思います。


松原
なるほど。具体的にお聞かせください。


内藤
いろんな政策を行って、評価も沢山されて、異なる意図でどんどん大勢の人に伝わっていって、意味を訂正しても、より批判されたり。
目的達成のための手段を変えたことで、理解してもらえなかったことが多かったです。それは直接説明ができなくて、いろんなところを切り取られて報道で出されたことが原因だったと思います。


松原
直接対面して話すことの重要性を身に染みて感じる4年間だったのですね。
その困難な状況下で行うことができた取り組みはございますか。


内藤
子ども議会という取り組みです。小学生に色々な提案をしてもらい、実際に市長や副市長が答弁する、リアルな議会のようなものです。
また、市内の中学校に出向き、一緒に給食を食べながら意見を聞く取り組みもしました。もらった要望の中で、できることはやっていくし、些細なことでもきちんと考えて解決できるようにするねというような話もしました。


松原
小さなことでも、1人1人の意見を取り入れようとしている姿勢がすごく素晴らしいなと感じました。


若者を呼び込む「まちづくり」

松原
子ども議会や中学校訪問以外にも若者の意見や提案など、取り入れていたことがあれば教えていただきたいです。


内藤
朝日新聞の子会社と連携協定を結んでおり、東京のZ世代の子たちが徳島の移住に関していろんな話をする場を設けています。移住のホームページ改善のためのディスカッションを東京や徳島で、みんなで話し合いながら少しずつでも進めています。


松原
若者に定住してもらうためには、若者の意見は最も重要ですよね。


内藤
そういうことを積み上げていけば、もっと徳島が良くなると思います。 若い人たちが実際に市政とか行政のどこかに参画をしていることはすごく重要なことだと思っているから、阿波おどりの実行委員会にも高校生や大学生に入ってもらったりしています。


松原
若者が、行政や市政をその次の世代に繋げていくキーパーソンとなるので、若者に行政や市政の現状を広めていかないといけないなと思いました。 
若者の人口流出の緩和には、若者の雇用機会を向上させていくことも必要だと思いますが、そのための計画やプロジェクトはございますか。


内藤
デジタル人材の育成プロジェクトですかね。やっぱり若い女性の流出は困るので、上の世代の女性も含めて稼げるデジタル人材を育成しようということで、Salesforceの資格を取る研修をして、実際に就労に繋げるようなプログラムを設けています。


松原
研修の中で資格獲得まで目指せるのはとても効率的ですね。


内藤
若い世代で言うと、リモートで働けるような環境も作っていきたいので、スタートアップ連携協定を結んでいます。徳島で働きたい、戻ってきたいけど、やっぱり賃金が低いとの声が多くあるので、東京や大阪の企業の賃金レベルで働けるような仕組みを増やしています。


松原
地方と都会ではかなりの賃金格差なので、それはとてもありがたい仕組みです。


内藤
あとは、国を通して徳島市でも、東京から引っ越すと移住の支援金をもらえます。そういう制度を企業と連携して、説明会の時に一緒にPRしてもらうような取り組みも進めています。市民の方や民間企業に、このまちは皆で作っていくという意識を植え付けていきたいです。


松原
様々な工夫をされていたのですね。
若者の定住促進のためには、やはりSNS活動には重きを置かれていますか。


内藤
ある程度目立たないと、まずその存在を知ってもらえないですよね。徳島市という存在を知ってもらうために「全国最年少女性市長」というような肩書きを効果的に使えるのであれば使うし、いろいろなところに登壇したり、YouTubeなどに発信することで、少しでも徳島という名前を外に広めてくれればいいという風には思ってました。


アットホームな職場、徳島市役所

松原
若者についての話題に関連して、徳島市役所で若手職員の方と取り組んでいる事だったり、若手が活躍できる場はありますか。


内藤
新卒の職員は採用時、市政に対して提案をする機会があり、その時に出た意見に対して私が直接フィードバックをする機会があります。実行するのであれば課題点を踏まえて実際にできるか話をします。若手だけに限らずいろいろな職員の思いを実現したいので、定期的にいろいろな役職の職員とランチを食べたりもしています。


松原
市役所の仕事についてよく知らなかったのですが、勝手に堅いイメージを抱いていました。


内藤
職員提案・チエダス運動で上がってきた意見もできるだけ採用しています。この前も、カスタマーハラスメント対策として職員の名札を苗字だけの表記、なおかつユニバーサルデザインで、ローマ字でも表記しましょうという提案が上がってきました。すぐに切りかえて、3月1日から始まりました。このように、みんなに意見を聞きつつ、提案が上がってきて出来ないのであれば、その理由をきちんと明確に話して、周知するようなこともやってます。


松原
私のイメージとは異なり、ランチに行ったり、職員さんの声にも耳を傾けようとされていてアットホームな職場なのですね。


ここでしか出来ないこと、求める職員像

松原
他の地域ではなく、徳島市役所の職員にしか出来ないことはありますか。


内藤
阿波おどりに携われることですかね。あとは、株式会社メルカリ様と連携協定を結んでいるので、出向した職員もいるし、そういったスタートアップ企業と仕事をする機会が多いです。
例えば、ポーラ・オルビスホールディングス様と連携協定を結び、女性のメンタルヘルスケアの共同事業を行いました。そういう意味で企業と関わる仕事をいろいろな部署で増やしてました。


松原
企業様と市役所様の共業は想像していなかったので、驚きました。


内藤
市役所の職員だけど、阿波おどりを含めての営業や、いろいろな人材と関わります。部署によっては、松原さんがイメージを持たれてるような堅い仕事だけではなくて、面白い、熱い仕事もできます。
特に、観光分野や防災分野ですかね。防災に関しては、女性や子どもの避難所運営や避難所生活に重きを置いていたので、研修などは他の自治体よりすごく先進的だとも思います。


松原
予想外なことばかり聞くことができて、とても面白いです。
そんな徳島市役所様で、一緒に働きたいと考える職員像を教えていただきたいです。


内藤
いろんな価値観を持った人たちが、いきいきと働ける職場にしたいので、多様な職員を受け入れたいと思っています。その中で、協同、公平、挑戦、創造性と生産性、実行と成果という5つの価値観、職員の行動指針を掲げています。


松原
5つの価値観について詳しくお聞きしたいです。


内藤
創造性と生産性だと、新しいことやりながら生産性も考える。あとは、実行と成果でちゃんとやり切る。やり切ることが、徳島市を前に進めることでもあります。挑戦して、新しいことをアップデートしながら実行して、成果も出していくことを明確にしていく。
真の公平で言うと、今って多様なニーズだったり個人の状況は違うので、個々に応じてできる限りのことをやっていきましょうとはすごく伝えていました。そういう職員が増えてくれれば、楽しく、開かれた市役所、みんなと一緒にいろんなことを前に進めていける市役所になると思います。


松原
具体的にはそんな思いが込められていたのですね。


こんなに水にあふれ、彩られた市は他にない

松原
市長から見て、他の自治体と比べての徳島市らしさを教えてください。


内藤
徳島市は、134本の川が流れていて、1000本以上橋があるような市です。こんなに水にあふれ、水に彩られた市は他にないと思っています。中心市街地のすぐ近くの新町川ではスタンドアップパドルボート、サーフィンだと小松海岸、 釣りは沖洲や津田地区で出来ます。


松原
水都とくしまですね。


内藤
市役所からも近いので、私は早起きして、釣りをしてから市役所に行ったこともあります(笑)そんな魅力もまだあまり知られてなかったりするので、YouTubeなどで発信していければ面白いんじゃないかなと思います。


「覚悟」があれば乗り越えられる

松原
内藤市長は、市民の方々や市民団体、議会、多くのステークホルダーの皆さんと向き合ってこられ、 いろんな難しさがあったと思います。そんな中でも最後の最後まで公約が正しいと信じ、それを推進してきたからこそ、ここまでやり切れたのだと思います。しかし、ある一定の成果が出るまでの間はどちらかというとアンチテーゼの方が多かったりすると思うのですが、その時に心の支えにされてたものってなんだったんでしょうか。


内藤
私は基本的に社会を良くしたいっていう思いが根底にあるので、それですかね。


松原
そういう思いを持ち続けられるというのは、学生時代からの様々なご経験、イノベーション活動に従事されていたという打席の数が強さを生み出していらっしゃるのでしょうか。


内藤
それは絶対にそう思います。あの時の成功体験とか、幼少期からとりあえず挑戦することはしていました。
あとは祖母が戦争を体験した世代で、彼女は勉強がしたくても女学校には進めなかった。今この平和な時代で、ある程度教育を受けられる環境が整っている人たちは、それが当たり前ではないことをきちんと理解した上で、自分にできることを日々考えて実践しなければいけないと思っています。


松原
やってみなくちゃわからないという風に切り替えられたのは、やっぱり市長のこれまでの環境の影響が大きいのか、どう思われますか。


内藤
どうでしょうね。元々私は好奇心旺盛なタイプなので先天的な性格もあるとは思うのですが、それでもいろんなことに挑戦する中で、どうせできないよね、こんなことしても仕方ないよねって言われることはすごく多いと思うんですよね。


松原
そんな風に言われると、心が折れてしまいそうになります。


内藤
とりあえず心が折れる言葉を言われても潰されない、絶対できないって言われても、それでも私は何のためにそれをやりたいのか。もちろん自分のためもあるけど、将来の世代のためにこういうことをやり抜きたいんだという、確固たる意思とか、責任感があれば、何を言われても進めると思います。もちろん先天的な性格もありますけど、最後は覚悟かな。


原田
なるほど、覚悟ですね。


「目的のための”手段”は”手段”に過ぎない

松原
手段の目的化という、目的を見失ってしまって手段を目標や目的にしてしまうということが非常に多いように思います。
もし仮に、そういったところに臆病になっている学生に、勇気づけてあげられるような一言を贈っていただけるとすれば、内藤市長はどんなメッセージをお贈りになりますか。


内藤
どういう道を選んでも自分で正解にできるからって私は言っています。
やり方はいろんな道があると思いますし、道を変えてもいいと思うんですよね。私が弁護士になりたかったのは、社会を良くしたいからで、弁護士は手段なんですよね。
じゃあ社会を良くしたいのなら、どういうポジションで、どういうことが自分はできるのか。それが今回は市長だっただけなんです。


松原
何のためにやっているのか、本当に大事だなと考えさせられます。
取り組まれてこられた、これまでのことには相当なご苦労もおありになられたのだろうなと感じているので、個人的には、今回の出馬断念について残念に思います。


内藤
でも私はまだ徳島を諦めていないので。徳島市長選挙に出馬しないというだけで、色々その先も考えています。今回の市長選挙に出馬はしませんが、引き続き徳島市のことには関わっていきますし、社会を変革する人であり続けたいと思っているので、そういう意味でまたインパクトあるようなことをできればと思っています。


松原
内藤市長の思いが、多くの学生に伝わるような記事を作成できればと思います。
本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。


内藤
こちらこそありがとうございました。これからも頑張ってください。



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